どこの家庭でも同じと思いますが、平日の朝、職場や
学校に行くまでの時間帯は、一分一秒も無駄にできない
忙しい時間帯だと思います。
テレビ画面に表示される時計の数字に合わせて行動しなければなりません。
自分のことだけでなく、朝ごはんの準備や弁当つくりに追われる家内は
忙しい忙しいが口癖になっています。特に起きたばかりの娘がこちらが
思ったように、なかなか朝ごはんを食べなかったり、ぐずぐずして学校にいく
準備をしないと、家内の口癖にも拍車が掛かって、その内娘に向かって雷が
落ちることになります。
しかし間に合うのかなと心配しているこちらの思いを他所に、決まった時間になると
こそこそと動き出してはご飯を食べ始め、学校に行く準備をしているので、
娘には娘なりの時間配分があるようです。
慌しい平日の朝と違って、用事のない休みになると、同じ時間帯でも様相は一変します。
時間の流れはゆっくりなって、朝ごはんや弁当つくりに追われることなく、これから待ち受ける
仕事がない心のゆとりは、いつもはとげとげしい家内の口調をやわらかくし、朝日の当たる
ぶっちょう面にもこころなしか笑みが浮かんでいるように見えます。
同じ時間でも、好きなことをしているときは短く感じ、嫌なことをしているときは長く感じる
ことは誰しも経験されることではないでしょうか。
それぞれの状況に応じて、同じ時間が長く感じたり短く感じたりする経験をすると
天体の運行や自然の変化から導かれた時間とは別の時間が存在するかのようです。
私たちは記憶を過去、今を現在、意志や希望を未来と呼び習わしています。
そこから現在と今、今と未来の比較から生まれる変化を時間の流れとして捕らえています。
同窓会で何年ぶり、何十年ぶりに旧友と再会するときや、昔とった写真を見たときなど
もっとも時間の流れを実感されると思います。
何かに夢中になっているときのように過去も未来もなく今、今とすごしている状態では、
時間の流れは意識されません。
そうした無我夢中の状態がなくなって、記憶が生じ、未来が意識されてくると、
時間の流れが生まれてまきす。
天体の運行から導かれた時間とは違った時間が存在するとすれば、そんな、こころが生み出す
時間といってもいいかも知れません。
広大な宇宙や雄大な自然を目の当たりにして、一分一秒に振り回される日常の時間とは違う
悠久な時間の流れを感じない人はいないのではないかと思います。
宇宙の始まりから無限に続く、数字の積み重ねの時間を思うと気が遠くなりそうです
一方で私たちの心が作る時間があることにも驚きます。
外の時間が一方通行で後戻りできないのに対して、こころの時間は過去へも
未来へも自由にいく事ができます。
そこは千年前、二千年前に亡くなった人の心を受け継ぎ未来に生かす、こころのリレー
を行う場所であります。
またそこは理想と現実が交差するゆえに希望と失望が、喜びと悲しみが生まれる場所でもあります
またそこは他人が意識されるゆえに愛と憎悪、慈しみと妬みが生まれる場所ともなります。
過去、現在、未来のこころの時間が流れ始めたとたん、時間を忘れた今、今の連続である無我夢中の状態で
過ごすことは不可能になってきます。
未来と過去の狭間で、善と悪の狭間で、愛と嫉妬の狭間で生きていくしかありません。

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